ゲームを遊ばずに批判する人の声って大事だよね

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これはいわゆるアンチ的な活動に勤しんでいて、自分の好きじゃないハードで出たゲームは全部面白くないことにしたがる人の話じゃありません。何か新作ゲームが発売されたとして、遊ぶ前に、何か面白くなさそうだね、という人の話です。

 


ユーザーにとって大事な声は、遊んだ人の声


ゲームに対する意見を、遊んだ、遊んでない、面白い、面白くない、の4つで分類すると、「遊んだし、面白かった」、「遊んだけど面白く無かった」、「遊んでないけど面白そう」、「遊んでないけど面白くなさそう」という組み合わせがあります。


ユーザーにとって何が大事かというと、「遊んだし、面白かった」だと思うんですね。まあ、広告宣伝ばっかり派手で、遊んでみたらたしたことない、というゲームを回避するためには「遊んだけど面白く無かった」という声も必要かもしれませんが。ゲームが好きな人であれば、面白くないゲームを買わないことより、面白いゲームを買うことの方がより重要だと思うので、やっぱり「遊んだけど面白かった」の意見がとても価値が高いんじゃないかと僕は思ってます。


逆に、「遊んでないけど面白くなさそう」なんて意見は全く価値がありません。「面白くなさそう」と「面白くなかった」には天と地ほどの差があるのです。ゲームを遊んでもいないのに、なんか面白くなさそう、という人には、「遊んでから言え!」というツッコミが入ることもあります。

 


メーカーに大事なのはどんな声だろう


じゃあ、これがメーカーに大事なのはどんな声だろう、と考えてみた時、圧倒的に重要なのは遊んでない人の意見じゃないかと思うのです。つまり「遊んでないけど面白くなさそう」。何故なら、その人達は売れない理由を知っているからです。これこれこういう理由で買わない、というその作品のボトルネックを持っているはずです。


でも、ゲーム業界の多くは「遊んだし、面白かった」人の意見を聞いてしまうんですよね。例えば、購入した人にアンケートを取れば、当然遊んだ人からしか意見が取れませんし、多くの場合、そういうアンケートに答えてくれるのは作品を気に入ってくれた人でしょう。観測しやすいこともあって、どうしても遊んだ人の意見を取り入れがちです。

 


ゲームを遊ばずに批判する人の声は興味深い


普通にしていたら、ファンの声ばっかり集まってくるわけです。でも、そうじゃない人の声のほうが大事な場合が非常に多いのです。これって、ゲームに限らず、あらゆる商品、サービスでもそうかもしれません。


僕はある面白いゲームについて、そのゲームを知っているのに、それなりに興味もあるのに買わないという人がいると、なんで買わないのか聞いてみたくなります。そこには、ゲームを遊んでいる人からは得られない、ゲームの外側の部分が見えてくるからです。そういう身近な声に耳を傾けるだけでも、色んなことが分かって参考になるものです。

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